当研究部門の宮川剛教授が出演しましたテレビ朝日系平成21719日放映「大人のソナタ」、日本テレビ系平成2181日放映「世界一受けたい授業」をご覧いただいた一般の方々むけへの補足の情報です。

 

Q. 番組中で、「高いところを怖がらなくなったネズミ!」というのが出てきましたが、これはどのようなものですか?

A. α-CaMKII(アルファ・カムケーツー)という名前がついた遺伝子を「遺伝子ターゲッティング」という手法でヘテロで欠失させたマウスのことです。このマウスは、不安様の行動が顕著に低下している他、兄弟をほぼすべて殺してしまう、「大きな気分の波」を持つ、作業記憶という認知機能が低下している、など様々な異常を示します(Yamasaki et al., 2008)。もともとは、宮川が所属していたマサチューセッツ工科大学の利根川進博士(ノーベル医学生理学賞受賞者)の研究室で作製されたマウスです。

 

Q. マウスの研究でヒトのことがわかるのでしょうか?

A. マウスの遺伝子の99%はヒトでホモログ(似た配列を持つ遺伝子)を持っていると言われています (Austin et al., 2004)。また、マウスやラットが属するげっ歯類は、分子遺伝学的には、馬や牛、犬や猫と比べても、よりヒトに近いグループに属しています(Murphy et al., 2001)。また、げっ歯類の脳とヒトの脳には驚嘆すべき連続性があります。例えば、テレビコマーシャルが購買行動に与える影響には、「パブロフ型条件付けの転移」という脳の機能が重要です。この心理学的現象はげっ歯類を用いて発見されたものなのですが、ヒトにおいてもげっ歯類と同様に被殻という脳内の対応する領域で担われていることがわかっています(Bray et al., 2008)。また、このYouTubeのムービーをご覧ください。マウスがとても賢いことがわかります。

では、マウスで不安や恐怖はどのようにして測定するのでしょうか。番組で紹介した高架式十時型迷路や、明暗選択テストというものを使います。放映されたマウスのVTRからも、マウスの腰が引けていて一見、怖がっているように見えますが、これは本当でしょうか?ヒトが感じている不安や恐怖と同じ種類のものなのでしょうか?ヒトの不安障害の治療薬として抗不安薬というものが使われています。ヒトで使われる抗不安薬をマウスに与えてあげると、マウスがあまり行かない壁のない開けた場所や明るい場所にどんどん行くようになります(Crawley, 1985)。また逆にヒトで強烈な恐怖を誘発する「不安誘発薬」というものがありますが(もちろんこれは医療では使われていませんが)、これをマウスに投与しますと壁のない開けた場所や明るい場所にはあまり行かなくなってしまうのです。つまり、不安や恐怖をもたらす脳の分子メカニズムはマウスとヒトではかなり共通していると推測されます。

このように、マウスは生物学的にとてもヒトに近く、マウスの研究はヒトのこころの研究にもとても役にたつのです。

 

Q. 「恐怖遺伝子」として紹介されていたセロトニントランスポーター遺伝子のことについてもっと教えてください。

A. セロトニントランスポーターというタンパクは、セロトニン(5-HTとも呼ばれます)という神経伝達物質が神経細胞からシナプス間隙に放出された後に、それを再び神経細胞内に取り込む働きをします。セロトニントランスポーター遺伝子は、このタンパクをコードする遺伝子です。この遺伝子の発現をコントロールするプロモーター領域にS型とL型という2種類のタイプがあります。マウスでもヒトでも染色体は各2セットずつありますので、両方ともS型の人(SS型)、片方がS型でもう一方がL型の人(LS型)、両方ともL型の人(LL型)、という3種類の人がいることになります。S型の場合、セロトニントランスポーター遺伝子の発現の量が少なく、L型の場合は多くなることが知られています。ある人がどの型であるかということはPCR法という方法によって比較的簡単に調べることができます。S型を持っている人(SS型かLS型の人)は、そうでない人(LL型)に比べて、不安傾向が強いことが知られています(Lesch et al., 1996)。脳に扁桃体という「恐怖中枢」とも言われる脳の場所があります。扁桃体は「怖い」という感情に伴って活動するのですが、感情的な刺激(他人の怒った顔や怖がっている顔など)を見たときに、S型を持つ人はそうでない人に比べて、扁桃体がより強く活動することがわかっています(Hariri et al., 2002)。さらにS型を持つ人はそうでない人に比べて、失業・離婚・子供のころの虐待などのトラウマ的体験がある場合に、統計的に有意にうつ病にかかりやすいということ(Caspi et al., 2003)や、この型が人の経済活動の判断にまで影響を及ぼしているということ(Roiser et al., 2009)が報告されています。

セロトニントランスポーター遺伝子を遺伝子ターゲティングという手法で欠損させたマウスでは普通のマウスに比べて不安様行動が顕著に亢進していることがわかっています(Holmes et al., 2003)

また、セロトニントランスポーターは、Selective Serotonin Reuptake Inhibitors(SSRI)という種類の抗うつ薬、抗不安薬(パキシルやプロザックなど)が作用するターゲットの分子として知られています。これらの薬物は万能というわけではなく、効きやすさには個人差があり(ほとんど効かない人もいる)、場合によっては重大な副作用が出てしまう人もいる(攻撃性が高まったり、幻覚・妄想などが出てしまうことがある)など、より詳細な研究と新規の薬物の開発などが必要とされています。

セロトニントランスポーター遺伝子の基礎的研究について、さらに詳細に興味がある方は、宮川の元同僚のAndrew Holmes博士らの総説をご覧下さい(Hariri & Holmes, 2006)

 

Q. 人の「怖がり度」はセロトニントランスポーター遺伝子の型だけで決まってしまうのですか?

A. いいえ、そういうことではありません。人は2万数千の遺伝子をもっていますが、このうちのおよそ80%が脳で発現していることがわかっています(Lein et al., 2007)。私たちの研究室では、このうちの脳で発現している100種類以上の遺伝子についての遺伝子改変マウスについて、その心理学的性質を調べてきました(Takao et al., 2007)。驚くべきことに、このうち10系統以上の遺伝子改変マウスが、不安様行動の異常を示しています。遺伝子改変マウスの研究で、不安や恐怖に影響を及ぼすことが分かった分子の例としては、Fyn (Miyakawa et al., 1994)Neurogranin (Miyakawa et al., 2001)Calcineurin (Miyakawa et al., 2003)Calpastatin (Nakajima et al., 2008)KF-1 (Tsujimura et al., 2008)などがあります。このことから、ゲノム上でコードされている遺伝子の数パーセントは何らかのかたちで「怖がり度」に影響を及ぼしている可能性があることが示唆されます。つまり、ある一人の人がその程度「怖がり」かは、かなりたくさんの遺伝子の型によって左右されていると考えられるのです。セロトニントランスポーター遺伝子の研究では、その他多数の遺伝子の型を無視してランダムにたくさんの被験者をテストしますので、他の遺伝子の型の効果は相殺されて、セロトニントランスポーター遺伝子の型の効果だけ確認することができるというわけです。セロトニントランスポーター遺伝子の型には人種間で頻度の大きな違いがあることがわかっていますが(Esau et al., 2008)、これは必ずしも人種間での「怖がり度」の差がセロトニントランスポーター遺伝子の型だけで決まっているということにはならないわけです

 

Q. 「感情の抑制の逆説」効果についてもう少し教えてください。

A. これは、英語では” paradoxical effects of suppressing anxious thoughts”と言い、不安な心を意識的に抑えようとすると逆に不安がより高まってしまうという効果のことです(Koster et al., 2003)

Wegnerという研究者の「皮肉過程理論(ironic process theory)」というものがあります(Wegner, 2009)。これは、自分のこころを意識的にコントロールしようとすると、意識とは逆に裏目に出てしまうことが多々あることについての理論です。意識とは逆に裏目に出てしまうことというのは、例えば、「何を考えても良いが、シロクマのことだけは考えないように」と言われて、「シロクマのことを考えないようにしよう」と意識すると、逆にシロクマのことを普通よりも頻繁に思い浮かべてしまう、というような現象のことで、この理論に基づいた各種の心理学的研究が盛んに行われています。「このことは秘密にしておいて下さい」と指示されて、そうしようと努力すると逆にそれを人に話したくなってしまうという現象や、スポーツで好ましくない動きを抑制しようと努力するとそうしない場合に比べてむしろその動きをしがちになってしまう現象(例えば、ゴルフで「飛ばしすぎないように」と意識するとむしろ飛ばしすぎてしまいがちになる)などもその例であると考えられています。

番組では少ない被験者数の簡易実験でしたが、同様な内容はいくつかの学術論文でも確認されています(例えば、Wegner et al., 1997; Koster et al., 2003)

 

Q. 鉛筆を歯にくわえてホラー映画を見た実験についてもう少し詳しく教えてください。

A. この番組で行われた実験は、顔の表情が感情の主観的な認知に影響を及ぼすという顔面フィードバック仮説 (Adelmann & Zajonc, 1989を参照) に基づいて行われた研究(Strack et al., 1988)にヒントを得て行ったものです。怖いから怖い顔をする、楽しいから楽しそうな顔をする、というように普通は考えますが、この仮説によると、怖い顔をすることによって怖く感じるようになる、楽しい顔をすることによって楽しさを感じるようになる、ということになります。多くの科学的研究がこの仮説を検証することをこころみており、顔の表情が主観的感情に必要であるという極端な考えはほぼ否定されているものの、人工的に表情を変えることによって主観的な感情が影響を受けるということについてはほとんどの研究が支持しているようです(吉川ら, 1993)

 

参考文献

Adelmann PK, Zajonc RB. 1989. Facial Efference and the Experience of Emotion. Annual Review of Psychology 40: 249-280.

Austin CP, Battey JF, Bradley A, Bucan M, Capecchi M, Collins FS, Dove WF, Duyk G, Dymecki S, Eppig JT, et al. 2004. The knockout mouse project. Nature Genetics 36: 921-924.

Bray S, Rangel A, Shimojo S, Balleine B, O'Doherty JP. 2008. The neural mechanisms underlying the influence of pavlovian cues on human decision making. The Journal of Neuroscience: The Official Journal of the Society for Neuroscience 28: 5861-5866.

Caspi A, Sugden K, Moffitt TE, Taylor A, Craig IW, Harrington H, McClay J, Mill J, Martin J, Braithwaite A, et al. 2003. Influence of Life Stress on Depression: Moderation by a Polymorphism in the 5-HTT Gene. Science 301: 386-389.

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吉川左紀子, 益谷真, 中村真 編 1993. 顔と心―顔の心理学入門. サイエンス社.